JASRAC・音楽教室事件最高裁判決は何を示しているのか? 

 社会の耳目を集めておりました、音楽教室でのレッスン演奏に係る楽曲の著作権使用料(演奏権)の支払義務をめぐるJASRACと音楽教室間の争いについて、最高裁判決が令和4年10月24日に出ました。音楽教室での教師の演奏については演奏権がおよぶという判断が知財高裁判決で固まっておりましたので、生徒の演奏をどう考えるかという最高裁の判断に注目が集まっていました。そして、最高裁は、まず、「演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮」するべきだとし、「音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない」ので、生徒側が支払う受講料は指導を受ける対価であり、曲を演奏すること自体の対価ではないとして、音楽教室側が「著作物の利用主体だということはできない」と判示致しました。

カラオケ法理は終焉したのか?

 本訴訟は、楽曲という著作物の規範的利用主体は一体誰なのかが大きな論点となっています。そして、従前の裁判例(最高裁昭和63年3月15日判決・クラブキャッツアイ事件等)では、著作物利用主体(例:カラオケ演奏客)と利益享受主体(例:カラオケ店)が異なるような場合については、カラオケ法理という、①管理支配性、②利益主体性を備えているもの(利益享受主体)が規範的利用主体であるという考え方が提示されてきました。しかし、本訴訟の最高裁判決は、上記したような総合考慮説とも言える規範を提示しており、明らかにカラオケ法理的言説を避けたことは見受けられます。そして、ロクラクⅡ事件・最高裁平成23年1月20日判決等でも総合考慮説的な判示もされてきており、そうすると、もはや、カラオケ法理は終焉したのではないか?という考え方も出てくると思います。ただ、総合考慮説の要素として、管理支配性と利益主体性は大きな意味合いを有していると考えられますので、本最高裁判決をもってカラオケ法理が終焉したとまでは言えないように思います。特に、本最高裁判決は、「音楽演奏に励む子どもの演奏にまで使用料を課すのか!」という一般的感覚にかなり寄り添った判断になっている点からも、今回はカラオケ法理を直接言及しなかっただけで、著作権の経済的要素である利益主体性を重んじるカラオケ法理はまだまだ終焉していないようにも感じられます。この点は、今後も注視していくべきことではないかと思います。

 そして、注目すべきは、上記したように、本最高裁判決は、「音楽演奏に励む子どもの演奏にまで使用料を課すのか!」という一般的感覚にかなり寄り添った判断を行っている点、すなわち、ある種の著作権の制限範囲を事実上形成している点にあるように思います。わが国には、アメリカのようなフェア・ユース規定はありませんが、本訴訟のような形で(一般的国民感情や社会通念に寄り添う形で)著作権の制限範囲を広げていくことで、実質的なフェア・ユース的あり方が浸透していくことがあり得るのではないかと思います。本最高裁判決はこれから色々と研究されていくので、今後も注視していきたいと思います。

2022年11月4日

執筆者:弁護士 室谷 光一郎