著作権法の保護範囲を超えて‐「北朝鮮映画事件」から「囲碁将棋チャンネル事件」までの判例の変遷が示す、新たな法的保護の可能性について-
1 はじめに
デジタル化とネットワークの進展は、創作物の利用態様を多様化させ、それに伴い、事業者間の紛争も複雑化しています。著作権法は、創作活動のインセンティブを確保するための強力な法的枠組みですが、その保護範囲には自ずと限界があります。では、著作権法上の権利侵害とは言えない行為によって事業上の利益が害された場合、民法709条の一般不法行為として利益侵害に対応できないかという論点について、北朝鮮映画事件判決、バンドスコア事件判決、囲碁将棋チャンネル事件判決を題材に検討してみます。
2 原則論の確立―北朝鮮映画事件判決 (最高裁平成23年12月8日判決)
この問題を考える上での出発点となるのが、北朝鮮映画事件最高裁判決です。本件は、北朝鮮で制作された映画の著作権者であると主張する者が、当該映画のDVDを無断で販売した者に対し、著作権侵害または一般不法行為に基づき損害賠償を求めた事案です。
事件の概要:
原告は、日本が国交を有しない北朝鮮で制作された映画について、日本における著作権の保護を主張しました。しかし、著作権法6条3号の「条約によりわが国が保護の義務を負う著作物」に該当しないとして、著作権侵害は認められませんでした。そこで、予備的に一般不法行為の成立が争点となりました。
最高裁の判断:
最高裁は、一般不法行為の成立を否定しました。その理由として、著作権法が、一定の範囲の著作物について著作権者の権利を認め、それ以外の利用行為を原則として自由な領域に置くことで、著作物の公正な利用を図り、文化の発展に寄与することを目的としている点を重視しました。そして、「著作権法が保護の対象としない著作物の利用行為は、著作権法の趣旨を没却するような特段の事情がない限り、違法性を欠く」との規範を打ち立てました。
本判決の意義:
この判決は、著作権法と一般不法行為の関係について、原則として著作権法が定める保護の枠組みを尊重し、安易に一般不法行為による救済を認めないという「すみわけ論」的な考え方を明確に示した点で画期的でした。知的財産法が設定した「自由な領域」を一般不法行為で安易に覆すべきではないという、法の体系的解釈を示したのです。これにより、実務上、著作権侵害が認められない場合の不法行為の主張は、極めてハードルが高いものという認識になりました。
2 例外の具体化―バンドスコア事件判決 (東京高裁令和6年6月19日判決)
北朝鮮映画事件判決が示した「特段の事情」とは、具体的にどのような場合を指すのでしょうか。そのヒントを与えたのが、バンドスコア事件判決です。
事件の概要:
本件は、音楽出版社が、人気ロックバンドの既存のバンドスコア(楽譜)をスキャニングし、レイアウトを一部変更して、バンドのロゴなどを付した廉価なバンドスコアを出版・販売した行為が、一般不法行為に当たるかが争われた事案です。なお、原告のバンドスコアは、既存の楽曲を採譜・編曲したものであり、それ自体に著作権法上の創作性が認められるかが微妙なケースでした(なお、バンドスコア自体の著作物性判断自体も興味深い論点なのでまた紹介したいと思います)。
東京高裁の判断:
東京高裁は、結論として一般不法行為の成立を認めました。すなわち、「人が販売等の目的で採譜したバンドスコアを同人に無断で模倣してバンドスコアを制作し販売等する行為については、採譜にかける時間、労力及び費用並びに採譜という高度かつ特殊な技能の修得に要する時間、労力及び費用に対するフリーライドにほかならず、営利の目的をもって、公正かつ自由な競争秩序を害する手段・態様を用いて市場における競合行為に及ぶものであると同時に、害意をもって顧客を奪取するという営業妨害により他人の営業上の利益を損なう行為であって、著作物の利用による利益とは異なる法的に保護された利益を侵害するものということができるから、最高裁平成23年判決のいう特段の事情が認められるというべきである。」と判示しました。
本判決の意義:
本判決は、北朝鮮映画事件判決の枠組みを維持しつつも、単なる「ただ乗り(フリーライド)」を超え、著しく不公正な手段による競業行為に該当する場合には、例外的に違法性が認められうることを示唆しました。これは、北朝鮮映画事件判決が示した「特段の事情」を例示したものであり、著作権法の枠外であっても、競争秩序の観点から違法と評価される行為が存在することを認め、一般不法行為による利益侵害認定の可能性を広げた重要な意義を持った判決でした。
3 新たな規範定立か? ―囲碁将棋チャンネル事件判決 (大阪高裁令和7年1月30日判決)
そして、近時、この流れをさらに発展させ、新たな判断の枠組みを示したと考えられる可能性がある判決が、囲碁将棋チャンネル事件判決です(本コラムでは、単独で2025年4月22日にご紹介させていただきました)。
事件の概要:
本件は、囲碁・将棋の公式戦を放送する専門チャンネル「囲碁・将棋チャンネル」が、棋譜(対局の指し手の記録)をウェブサイトに数手遅れで速報として掲載する事業者に対し、放映事業者の権利を侵害する一般不法行為または不正競争防止法に規定される信用棄損行為(不正競争防止法2条1項21号)であるとして、配信の差止め等を求めた事案です。
大阪高裁の判断:
大阪高裁は、北朝鮮映画事件判決やバンドスコア事件判決で示された「著作権法の趣旨を没却する特段の事情」という規範に直接言及しませんでした。その代わりに、まず原告(控訴人)の事業活動によって生み出された「法的保護に値する利益」の有無を検討し、その上で、被告(被控訴人)の行為の態様、目的、原告の利益の侵害の程度、自由競争の促進という観点などを総合考慮して、被告の行為が「自由競争の範囲を逸脱して控訴人の営業上の利益を侵害するものとして違法性」を有する者であると判断しました。
本判決の意義:
この判決は、従来の「著作権法の趣旨を没却する特段の事情」という規範に基づく「すみわけ論」を提示することなく、より柔軟な利益衡量のアプローチを採用したと考えられるものであり、重要な意義を持った判決でした。
4 最後に
北朝鮮映画事件判決が「著作権法の枠外は原則自由」という大原則(すみわけ論)を打ち立て、バンドスコア事件判決がその例外(著しく不公正な手段)の可能性を示唆したのに対し、囲碁将棋チャンネル事件判決は、その枠組み自体をより柔軟なものへと変化させたと評価できます。「特段の事情」という高いハードルから、「法的保護に値する利益」を基点とした具体的な利益衡量へと、判断の重心がシフトしたと評価できるかもしれません。この背景には、情報の価値が多様化し、著作物というカテゴリだけでは捉えきれない、新たなビジネス上の利益を法的に保護する必要性が社会的に高まってきたことがあると考えられます。
このように考えますと、この一連の判例の変遷からは、著作権侵害を構成しない利益侵害であったとしても、投下した労力、費用、創意工夫によって生み出された事業の中核をなす利益侵害に該当し、他方、相手方の行為が、単なる「ただ乗り」に留まらず、事業に重大な打撃を与え、競争秩序を歪める不公正なものであった場合には、一般不法行為構成によって、法的保護を受けられる可能性があるということが明らかになりました。
もちろん、「すみわけ論」的な考え方から比較衡量論的な考え方に変遷したかどうかは明確ではありませんが、著作権侵害を構成しない利益侵害であったとしても一般不法行為構成によって法的保護を求めていくことを今後の実務では検討していくことが重要になろうかと思います。
デジタル化とネットワークの進展は、創作物の利用態様を多様化させ、それに伴い、事業者間の紛争も複雑化しています。著作権法は、創作活動のインセンティブを確保するための強力な法的枠組みですが、その保護範囲には自ずと限界があります。では、著作権法上の権利侵害とは言えない行為によって事業上の利益が害された場合、民法709条の一般不法行為として利益侵害に対応できないかという論点について、北朝鮮映画事件判決、バンドスコア事件判決、囲碁将棋チャンネル事件判決を題材に検討してみます。
2 原則論の確立―北朝鮮映画事件判決 (最高裁平成23年12月8日判決)
この問題を考える上での出発点となるのが、北朝鮮映画事件最高裁判決です。本件は、北朝鮮で制作された映画の著作権者であると主張する者が、当該映画のDVDを無断で販売した者に対し、著作権侵害または一般不法行為に基づき損害賠償を求めた事案です。
事件の概要:
原告は、日本が国交を有しない北朝鮮で制作された映画について、日本における著作権の保護を主張しました。しかし、著作権法6条3号の「条約によりわが国が保護の義務を負う著作物」に該当しないとして、著作権侵害は認められませんでした。そこで、予備的に一般不法行為の成立が争点となりました。
最高裁の判断:
最高裁は、一般不法行為の成立を否定しました。その理由として、著作権法が、一定の範囲の著作物について著作権者の権利を認め、それ以外の利用行為を原則として自由な領域に置くことで、著作物の公正な利用を図り、文化の発展に寄与することを目的としている点を重視しました。そして、「著作権法が保護の対象としない著作物の利用行為は、著作権法の趣旨を没却するような特段の事情がない限り、違法性を欠く」との規範を打ち立てました。
本判決の意義:
この判決は、著作権法と一般不法行為の関係について、原則として著作権法が定める保護の枠組みを尊重し、安易に一般不法行為による救済を認めないという「すみわけ論」的な考え方を明確に示した点で画期的でした。知的財産法が設定した「自由な領域」を一般不法行為で安易に覆すべきではないという、法の体系的解釈を示したのです。これにより、実務上、著作権侵害が認められない場合の不法行為の主張は、極めてハードルが高いものという認識になりました。
2 例外の具体化―バンドスコア事件判決 (東京高裁令和6年6月19日判決)
北朝鮮映画事件判決が示した「特段の事情」とは、具体的にどのような場合を指すのでしょうか。そのヒントを与えたのが、バンドスコア事件判決です。
事件の概要:
本件は、音楽出版社が、人気ロックバンドの既存のバンドスコア(楽譜)をスキャニングし、レイアウトを一部変更して、バンドのロゴなどを付した廉価なバンドスコアを出版・販売した行為が、一般不法行為に当たるかが争われた事案です。なお、原告のバンドスコアは、既存の楽曲を採譜・編曲したものであり、それ自体に著作権法上の創作性が認められるかが微妙なケースでした(なお、バンドスコア自体の著作物性判断自体も興味深い論点なのでまた紹介したいと思います)。
東京高裁の判断:
東京高裁は、結論として一般不法行為の成立を認めました。すなわち、「人が販売等の目的で採譜したバンドスコアを同人に無断で模倣してバンドスコアを制作し販売等する行為については、採譜にかける時間、労力及び費用並びに採譜という高度かつ特殊な技能の修得に要する時間、労力及び費用に対するフリーライドにほかならず、営利の目的をもって、公正かつ自由な競争秩序を害する手段・態様を用いて市場における競合行為に及ぶものであると同時に、害意をもって顧客を奪取するという営業妨害により他人の営業上の利益を損なう行為であって、著作物の利用による利益とは異なる法的に保護された利益を侵害するものということができるから、最高裁平成23年判決のいう特段の事情が認められるというべきである。」と判示しました。
本判決の意義:
本判決は、北朝鮮映画事件判決の枠組みを維持しつつも、単なる「ただ乗り(フリーライド)」を超え、著しく不公正な手段による競業行為に該当する場合には、例外的に違法性が認められうることを示唆しました。これは、北朝鮮映画事件判決が示した「特段の事情」を例示したものであり、著作権法の枠外であっても、競争秩序の観点から違法と評価される行為が存在することを認め、一般不法行為による利益侵害認定の可能性を広げた重要な意義を持った判決でした。
3 新たな規範定立か? ―囲碁将棋チャンネル事件判決 (大阪高裁令和7年1月30日判決)
そして、近時、この流れをさらに発展させ、新たな判断の枠組みを示したと考えられる可能性がある判決が、囲碁将棋チャンネル事件判決です(本コラムでは、単独で2025年4月22日にご紹介させていただきました)。
事件の概要:
本件は、囲碁・将棋の公式戦を放送する専門チャンネル「囲碁・将棋チャンネル」が、棋譜(対局の指し手の記録)をウェブサイトに数手遅れで速報として掲載する事業者に対し、放映事業者の権利を侵害する一般不法行為または不正競争防止法に規定される信用棄損行為(不正競争防止法2条1項21号)であるとして、配信の差止め等を求めた事案です。
大阪高裁の判断:
大阪高裁は、北朝鮮映画事件判決やバンドスコア事件判決で示された「著作権法の趣旨を没却する特段の事情」という規範に直接言及しませんでした。その代わりに、まず原告(控訴人)の事業活動によって生み出された「法的保護に値する利益」の有無を検討し、その上で、被告(被控訴人)の行為の態様、目的、原告の利益の侵害の程度、自由競争の促進という観点などを総合考慮して、被告の行為が「自由競争の範囲を逸脱して控訴人の営業上の利益を侵害するものとして違法性」を有する者であると判断しました。
本判決の意義:
この判決は、従来の「著作権法の趣旨を没却する特段の事情」という規範に基づく「すみわけ論」を提示することなく、より柔軟な利益衡量のアプローチを採用したと考えられるものであり、重要な意義を持った判決でした。
4 最後に
北朝鮮映画事件判決が「著作権法の枠外は原則自由」という大原則(すみわけ論)を打ち立て、バンドスコア事件判決がその例外(著しく不公正な手段)の可能性を示唆したのに対し、囲碁将棋チャンネル事件判決は、その枠組み自体をより柔軟なものへと変化させたと評価できます。「特段の事情」という高いハードルから、「法的保護に値する利益」を基点とした具体的な利益衡量へと、判断の重心がシフトしたと評価できるかもしれません。この背景には、情報の価値が多様化し、著作物というカテゴリだけでは捉えきれない、新たなビジネス上の利益を法的に保護する必要性が社会的に高まってきたことがあると考えられます。
このように考えますと、この一連の判例の変遷からは、著作権侵害を構成しない利益侵害であったとしても、投下した労力、費用、創意工夫によって生み出された事業の中核をなす利益侵害に該当し、他方、相手方の行為が、単なる「ただ乗り」に留まらず、事業に重大な打撃を与え、競争秩序を歪める不公正なものであった場合には、一般不法行為構成によって、法的保護を受けられる可能性があるということが明らかになりました。
もちろん、「すみわけ論」的な考え方から比較衡量論的な考え方に変遷したかどうかは明確ではありませんが、著作権侵害を構成しない利益侵害であったとしても一般不法行為構成によって法的保護を求めていくことを今後の実務では検討していくことが重要になろうかと思います。
執筆者:弁護士 室谷 光一郎