映像・編集の力

 著作権法12条1項は、「編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。)でその素材の選択又は配列によって創作性を有するものは、著作物として保護する。」と定め、創作性を有する編集物には著作物としての権利保護を与えております。法律を学ぶ者の多くが判例・裁判例等を参照するために読んでいる「判例百選」に関するいわゆる著作権判例百選事件(東京地裁平成27年10月26日決定、知財高裁平成28年11月11日決定)を通しても、編集著作物の重要性は明らかです。なお、著作権判例百選事件では、結果的には、申立てを行った大学教授は「アイデアの提供や助言を期待されるにとどまるいわばアドバイザーの地位」にある者に過ぎないとされ、編集著作者とは認定されず、無事に判例百選の差止はなされませんでした。

 前置きが長くなりましたが、編集という行為は、「素材の選択・配列」に焦点をあてるものですが、成果物に大きな影響を与えるとても重要な役割です。特に、映像についてはそのことは如実に言えるものです。私が、映像や映像の編集という行為に強く興味を持つようになったのは、1995年3月から翌1996年2月にかけてNHKで放送されていました「映像の世紀」を視聴した時からです。世界30か国以上のアーカイブから収集した映像と回想録や証言等で20世紀を描いた番組ですが、山根基世さんのナレーションと加古隆さんの「パリは燃えているか」の音楽と相まって、映像素材の力を大いに感じました。その後、「戦艦ポチョムキン」のエイゼンシュテインや「イントレランス」のグリフィスが編み出したモンタージュ理論(視点の異なる複数のカットを組み合わせて用いることで異なる意味を有するフィルムが作成されるという理論)を貪るように学んだことが思い出されます(当時、大学生でしたので、芋づる式に興味を持ったことを学ぶ時間がありました)。そしてそして、30年の月日を経て、「映像の世紀」は帰ってきました。2022年から「映像の世紀 バタフライエフェクト」として。「蝶の羽ばたきのような、ひとりひとりのささやかな営みが、いかに連鎖し、世界を動かしていくのか?」という視点から、すなわち、社会や構造という視点から俯瞰するのではなく、人々の営みから社会や構造や歴史を捉えようとする試みであり、「映像の世紀」とは異なる映像の力を感じさせてくれています。近代都市東京の破壊と復興の節目である関東大震災と東京大空襲に関わった建築家アントニン・レーモンドと東京の繋がり、冷戦下の東ドイツで体制への批判の気持ちを歌っていたニナ・ハーゲンが統一ドイツの首相アンゲラ・メルケルに与えた影響等、多くの人々の営み、関わり、それが歴史を形作ってきたことを映像は示してくれます。また、今回のシリーズを視聴する中で、エイゼンシュテインのモンタージュ理論からソシュールの構造主義を学び、ポストモダンにハマった私としては、自分の青春期を顧みる機会にもなっております。そして、映像や編集といったものの力を感じ、法律家というバックヤード的スタンスですが、メディアに関われる喜びを感じております。と、あまり、法律とは関係のないコラムでした・・・
2023年5月15日

執筆者:弁護士 室谷 光一郎