バンドスコア事件判決(東京高裁令和6年6月19日判決)にみる音楽の著作物性について‐デジタル時代をみすえた著作物性認定の必要性-
1 はじめに
2025年11月6日の本コラムにおいて、著作権法上の権利侵害とは言えない行為によって事業上の利益が害された場合、民法709条の一般不法行為として利益侵害に対応できないかという論点について論じました。その時に取り上げましたハンドスコア事件判決(東京高裁令和6年6月19日判決)は、著作権法における「著作物性」の定義に対し、デジタル時代特有の課題を踏まえた上で、再考を迫るものです。本判決が、多大な労力が投下されたバンドスコアに対し著作物性を認めなかった判断は、法的整合性を持つ一方で、音楽制作の現場における努力の経済的価値を軽視しているという点で、強い反論の余地があります。
そこで、前回のコラム時の論点とは異なり、音楽の著作物のあり方という観点から、ハンドスコア事件を考察したいと思います。
2 著作物性否定の論理-創作性認定の厳格な壁-
本判決の最大の焦点は、バンドスコア(既存の楽曲を、各楽器パートの演奏情報を聴き取り、楽譜化したもの)が著作権法上の「著作物」(「思想又は感情を創作的に表現したもの」)に該当するかどうか、という点でした。
東京高裁は、バンドスコアの制作行為を、既存の音楽情報(音の並び、リズム、奏法など)を正確に把握し、既存の記譜法に従って忠実に記録する作業であると評価しました。この評価に基づき、高裁は以下の理由で著作物性を否定しました。
①表現の選択の余地の少なさ
採譜作業は、元の楽曲が意図する音情報を客観的に再現することに主眼が置かれています。採譜者が、自己の思想や感情を盛り込む余地、すなわち「創作性」を発揮する余地が極めて限定的であるとされました。
②技術的情報としての性質
バンドスコアは、演奏上の技術的情報を表現しているに過ぎず、著作権法が保護の対象とする「表現」(美術、言語、音楽などの文化的価値を持つ表現)には当たらないと判断されました。
つまり、どれほど高い採譜技術や、膨大な時間と労力が投じられたとしても、その成果物が「創作的」でなければ、著作権の保護対象とはならない、という著作権法の厳格な原則を改めて示したのです。この判断は、創作性の要件を緩やかに解釈しすぎると、著作権が文化の自由な利用を阻害する「囲い込み」の道具になりかねないという懸念に基づく古典的な著作権法の立場に沿うものです。
3 デジタル時代の創作性の再定義をする必要性がないのか
しかし、本判決の厳格な「創作性」の解釈は、現代の音楽制作、特にデジタル時代における課題を無視しているという点で、妥当性に疑問がないわけではありません。
(1)採譜における「解釈的創造性」の軽視
本判決は採譜を「忠実な記録」と断じましたが、実際のプロの採譜行為には、下記のような観点からすれば、単なる聴き取り以上の「解釈的創造性」が必然的に含まれます。
①ニュアンスの可視化
楽譜には書ききれない演奏者の細かな意図やニュアンス(例:ドラムのゴーストノートの強弱、ギターの特殊奏法、和声の曖昧さなど)を、採譜者は専門知識に基づいて記譜法に「翻訳・選択」しなければなりません。この「翻訳・選択」の過程は、採譜者自身の音楽的理解とセンスに基づく表現行為であり、表現の選択の余地が全くないわけではありません。
②不完全な音源の補完
デジタル化されていない古い音源やライブ音源など、音質が不十分な場合、採譜者は「こう演奏しているはずだ」という音楽的な推論と知識に基づいて、不足する情報を補完します。これもまた、技術的スキルを伴う創作的な作業と見なすべき余地があります。
(2)デジタル時代における「情報の可視化」の価値
デジタル時代において、音楽情報は容易に複製・流通します。バンドスコアは、その複雑な音楽情報を「構造化」し「可視化」するという、高い経済的・教育的価値を持っています。
①デジタル・フリーライドの容易さに関する視点の欠如
スコアがPDFなどのデジタル形式で流通すれば、その情報の抜き取りや加工が極めて容易になります。本件の被告のように、原告の多大な労力の成果をスクレイピングなどによって組織的に、かつ瞬時に利用できるデジタル環境は、「労力」へのただ乗り(フリーライド)のコストをゼロに近づけてしまいました。
②技術的成果物の保護の必要性
AIによる自動採譜技術が進化する現代においても、プロが手作業で作成したスコアには、機械には再現できない「人間的な解釈」が埋め込まれています。その質の高い構造化された情報の保護を、著作権法が「創作性」という狭い基準で拒むことは、質の高いコンテンツの制作意欲を著しく削ぎ、文化産業の健全な発展を阻害する可能性があります。
4 著作権法の「外側」の保護の限界について
本判決は、著作物性を否定した上で、最終的に一般不法行為(民法709条)を適用して原告を救済しました。これは、著作権法が保護しきれない「労力」の価値を、「不公正な競争」という観点から補完する現実的な対応でした。しかし、一般不法行為による保護は、「著しく不公正・悪質な模倣」という限定的な状況でしか適用できず、著作権のように排他的な権利として広く利用をコントロールすることはできません。
バンドスコア事件判決が突きつけた課題は、単なる法解釈に留まりません。デジタル時代において、高度な技術と労力によって生み出された「非創作的な構造化情報」を、いかにしてフリーライドから守り、その制作者に正当に報いることができるのか。この課題に対する答えは、著作権法における「創作性」の概念を、デジタル時代の新しい表現形式(データの構造化、技術情報の翻訳など)に対応させる形で再定義していくことにあるのかもしれません。この点について、今後もしっかりと考察していきたいです。
2025年11月6日の本コラムにおいて、著作権法上の権利侵害とは言えない行為によって事業上の利益が害された場合、民法709条の一般不法行為として利益侵害に対応できないかという論点について論じました。その時に取り上げましたハンドスコア事件判決(東京高裁令和6年6月19日判決)は、著作権法における「著作物性」の定義に対し、デジタル時代特有の課題を踏まえた上で、再考を迫るものです。本判決が、多大な労力が投下されたバンドスコアに対し著作物性を認めなかった判断は、法的整合性を持つ一方で、音楽制作の現場における努力の経済的価値を軽視しているという点で、強い反論の余地があります。
そこで、前回のコラム時の論点とは異なり、音楽の著作物のあり方という観点から、ハンドスコア事件を考察したいと思います。
2 著作物性否定の論理-創作性認定の厳格な壁-
本判決の最大の焦点は、バンドスコア(既存の楽曲を、各楽器パートの演奏情報を聴き取り、楽譜化したもの)が著作権法上の「著作物」(「思想又は感情を創作的に表現したもの」)に該当するかどうか、という点でした。
東京高裁は、バンドスコアの制作行為を、既存の音楽情報(音の並び、リズム、奏法など)を正確に把握し、既存の記譜法に従って忠実に記録する作業であると評価しました。この評価に基づき、高裁は以下の理由で著作物性を否定しました。
①表現の選択の余地の少なさ
採譜作業は、元の楽曲が意図する音情報を客観的に再現することに主眼が置かれています。採譜者が、自己の思想や感情を盛り込む余地、すなわち「創作性」を発揮する余地が極めて限定的であるとされました。
②技術的情報としての性質
バンドスコアは、演奏上の技術的情報を表現しているに過ぎず、著作権法が保護の対象とする「表現」(美術、言語、音楽などの文化的価値を持つ表現)には当たらないと判断されました。
つまり、どれほど高い採譜技術や、膨大な時間と労力が投じられたとしても、その成果物が「創作的」でなければ、著作権の保護対象とはならない、という著作権法の厳格な原則を改めて示したのです。この判断は、創作性の要件を緩やかに解釈しすぎると、著作権が文化の自由な利用を阻害する「囲い込み」の道具になりかねないという懸念に基づく古典的な著作権法の立場に沿うものです。
3 デジタル時代の創作性の再定義をする必要性がないのか
しかし、本判決の厳格な「創作性」の解釈は、現代の音楽制作、特にデジタル時代における課題を無視しているという点で、妥当性に疑問がないわけではありません。
(1)採譜における「解釈的創造性」の軽視
本判決は採譜を「忠実な記録」と断じましたが、実際のプロの採譜行為には、下記のような観点からすれば、単なる聴き取り以上の「解釈的創造性」が必然的に含まれます。
①ニュアンスの可視化
楽譜には書ききれない演奏者の細かな意図やニュアンス(例:ドラムのゴーストノートの強弱、ギターの特殊奏法、和声の曖昧さなど)を、採譜者は専門知識に基づいて記譜法に「翻訳・選択」しなければなりません。この「翻訳・選択」の過程は、採譜者自身の音楽的理解とセンスに基づく表現行為であり、表現の選択の余地が全くないわけではありません。
②不完全な音源の補完
デジタル化されていない古い音源やライブ音源など、音質が不十分な場合、採譜者は「こう演奏しているはずだ」という音楽的な推論と知識に基づいて、不足する情報を補完します。これもまた、技術的スキルを伴う創作的な作業と見なすべき余地があります。
(2)デジタル時代における「情報の可視化」の価値
デジタル時代において、音楽情報は容易に複製・流通します。バンドスコアは、その複雑な音楽情報を「構造化」し「可視化」するという、高い経済的・教育的価値を持っています。
①デジタル・フリーライドの容易さに関する視点の欠如
スコアがPDFなどのデジタル形式で流通すれば、その情報の抜き取りや加工が極めて容易になります。本件の被告のように、原告の多大な労力の成果をスクレイピングなどによって組織的に、かつ瞬時に利用できるデジタル環境は、「労力」へのただ乗り(フリーライド)のコストをゼロに近づけてしまいました。
②技術的成果物の保護の必要性
AIによる自動採譜技術が進化する現代においても、プロが手作業で作成したスコアには、機械には再現できない「人間的な解釈」が埋め込まれています。その質の高い構造化された情報の保護を、著作権法が「創作性」という狭い基準で拒むことは、質の高いコンテンツの制作意欲を著しく削ぎ、文化産業の健全な発展を阻害する可能性があります。
4 著作権法の「外側」の保護の限界について
本判決は、著作物性を否定した上で、最終的に一般不法行為(民法709条)を適用して原告を救済しました。これは、著作権法が保護しきれない「労力」の価値を、「不公正な競争」という観点から補完する現実的な対応でした。しかし、一般不法行為による保護は、「著しく不公正・悪質な模倣」という限定的な状況でしか適用できず、著作権のように排他的な権利として広く利用をコントロールすることはできません。
バンドスコア事件判決が突きつけた課題は、単なる法解釈に留まりません。デジタル時代において、高度な技術と労力によって生み出された「非創作的な構造化情報」を、いかにしてフリーライドから守り、その制作者に正当に報いることができるのか。この課題に対する答えは、著作権法における「創作性」の概念を、デジタル時代の新しい表現形式(データの構造化、技術情報の翻訳など)に対応させる形で再定義していくことにあるのかもしれません。この点について、今後もしっかりと考察していきたいです。
執筆者:弁護士 室谷 光一郎