【前編】公正取引委員会調査にみる芸能契約の現在地―パッケージ時代の残滓と360度ビジネスの狭間で求められる「公正な関係」とは

第1 はじめに
 近年、公正取引委員会が公表した一連の「音楽・放送番組等の分野の実演家と芸能事務所との取引等に関する実態調査」は、これまで聖域とされがちだったエンターテインメント業界の取引慣行に、独占禁止法という観点から鋭い光を当て、社会に大きな議論を巻き起こしました。この調査は、単に個別のトラブルを指摘するに留まらず、業界に根強く残る構造的な課題を浮き彫りにしています。
 特に、デジタル化の波と、アーティストの活動を包括的に管理する「360度ビジネスモデル」の普及は、業界の景色を一変させました。ヒットサイクルの短期化、原盤製作費の圧縮、ライブや配信の収益化といったビジネスの多角化が進む現代において、かつてのCD全盛期、いわゆる「パッケージビジネス時代」に構築された専属実演家契約の枠組みが、もはや実態に適合しないどころか、アーティストの活動を不当に縛る足枷となりかねない状況が生まれています。
 本コラムでは、公正取引委員会の最新の調査報告書(令和6年12月26日公表資料)を読み解きながら、この構造的な問題を分析します。まず、パッケージビジネス時代に形成された専属実演家契約の課題を振り返り、次に、360度ビジネスの時代においてその問題がいかに変容し、深刻化しているかを詳述します。
 さらに、公正取引委員会の指摘の意義を評価しつつも、その限界、特に「実態を知らない行政が画一的な判断を下している」との批判にも目を向け、業界の複雑な実情との乖離を踏まえた上で、デジタル時代におけるレコード会社、芸能事務所、そしてアーティストが築くべき「対等なパートナーシップ」とは何か、公序良俗と合理性の観点から、その具体的な在り方を考察します。

第2 パッケージビジネス時代の遺産〈専属実演家契約の伝統的課題〉
 現代の芸能契約が抱える問題を理解するためには、まずその原型が作られた「パッケージビジネス時代」の構造を振り返る必要があります。CDやレコードといった物理メディアが収益の絶対的な柱であったこの時代、契約の根幹には「先行投資とその回収」という明確な経済合理性が存在しました。

1 投資回収装置としての専属契約
 かつて、一人のアーティストをデビューさせ、ヒットを生み出すためには、芸能事務所やレコード会社による莫大な先行投資が不可欠でした。ダンスや歌唱のレッスン費用、宣伝広告費、ミュージックビデオの制作費、場合によっては生活費の支援まで、その範囲は多岐にわたります。この巨額の投資を回収し、利益を確保するための法的装置が「専属実演家契約」であり、その中核をなしていたのが「実演禁止条項」と「再録禁止条項」でした。

●実演禁止条項
 契約期間中、アーティストは自社(契約したレコード会社)以外のレコード会社のために、CD等の「収録」を目的とした実演を行ってはならない、という義務です。これにより、レコード会社は自社が投資したアーティストが、競合他社でCDをリリースすることを防ぎ、自社の売上を守ることができました。

●再録禁止条項
 契約が終了した後も、一定期間は、契約期間中にリリースした楽曲と同じ楽曲を、アーティスト自身が再録音(セルフカバー)してリリースすることを禁じる条項です。これもまた、レコード会社が制作した原盤(マスター音源)の価値を維持し、投資回収期間を確保するための重要な仕組みでした。

 これらの条項は、あくまで物理メディアの「収録」と「販売」を主眼に置いており、テレビやラジオ、コンサートでの実演は、原則としてこの制限の対象外と解釈されていました。このように、当時の専属契約は、レコード会社の投資リスクをヘッジし、ビジネスを安定させるための一定の合理性を備えた枠組みとして機能していました。

2 契約が内包する「活動制限」のリスク
 しかしながら、この投資回収モデルは、その構造上、アーティストの活動の自由を過度に制限するリスクを常に内包していました。例えば、契約期間が数年単位で設定され、特段の申し出がなければ同一条件で契約が更新される「自動更新」条項が一般的であったため、一度契約すると、アーティスト自身の意思で離脱することが困難な状況が生まれがちでした。報告書によれば、現在でも契約期間がある芸能事務所の約9割が自動更新を採用しています。
 特に問題視されてきたのが、再録禁止期間の長さです。レコード会社側が契約終了後5年以上といった長期の禁止期間を求めるケースも珍しくなく、これはアーティストが過去の代表曲という自身の重要な資産を活用できなくなり、その後の活動において大きな足枷となり得るものです。
 こうした過度な拘束は、パッケージビジネスの時代から、アーティストの職業選択の自由を不当に奪うものとして、独占禁止法上の「優越的地位の濫用」や、民法上の公序良俗違反にあたるのではないかと指摘されてきました。公正取引委員会が平成30(2018)年の報告書でこの問題に言及して以来、業界の慣行に厳しい目が向けられるようになりました。

第3 デジタル化と360度ビジネスの奔流〈契約モデルの構造的疲労〉
 パッケージビジネス時代に確立された専属実演家契約の枠組みは、デジタル化とネットワーク化の進展という地殻変動によって、その前提を根底から覆されることになります。ビジネス環境が激変する中で、古い契約モデルを維持し続けた結果、多くの歪みと新たな問題が噴出しているのが現状です。

1 ビジネス環境の激変
 周知の通り、CDの売上は世界的に減少し、音楽の楽しみ方の中心はストリーミングサービスへと移行しました。これにより、ビジネスの収益構造は大きく変化しました。かつてのようにミリオンセラーを連発して一気に投資を回収するモデルは困難になり、ヒットのサイクルは極めて短期化しています。
 一方で、テクノロジーの進化は原盤の製作コストを劇的に下げ、アーティストはレコード会社の巨大なスタジオに頼らずとも、高品質な楽曲を制作できるようになりました。この変化に対応するように、芸能事務所やレコード会社は、収益源を多角化させる「360度ビジネスモデル」へと大きく舵を切りました。これは、従来の音楽制作・配信に留まらず、ライブ興行、ファンクラブ運営、グッズ販売、SNSや動画配信といったデジタルコンテンツ展開など、アーティスト活動のあらゆる側面を包括的にマネジメントし、収益化するビジネスモデルです。今や、音楽そのものの収益よりも、ライブや関連グッズの売上が事業の柱となっているケースも少なくありません。

2 古い契約の「再録禁止」「実演禁止」が、現代のアーティストを縛る
 問題なのは、ビジネスの実態がこれほどまでに変化したにもかかわらず、契約書の根幹がいまだにパッケージ時代のままであるケースが多いことです。その結果、かつては限定的な意味しか持たなかった条項が、デジタル時代においてアーティストを縛る強力な足枷として機能し始めています。
 公取委の報告書でも指摘されているように、「収録」という言葉の解釈がその典型です。以前はCD等のためのレコーディングを指していましたが、現在では、ライブの音源や映像を配信することも「収録」に含まれると拡大解釈されるようになりました。これにより、「実演禁止条項」や「再録禁止条項」の適用範囲が、当事者の意図を超えて大幅に広がってしまいました。
 さらに深刻なのは、デジタルコンテンツが一度世に出ると半永久的にオンライン上に流通し続けるという特性です。契約終了後も、事務所やレコード会社が権利を持つ過去の音源が常にアクセス可能な状態で存在し続けるため、再録禁止条項は、アーティストが過去の楽曲を再解釈し、新たなファンに届ける機会を未来永劫奪いかねません。アーティストにとって最大の資産であるはずの代表曲が、皮肉にも、新たな活動を阻むデジタルタトゥーのような負債に転化してしまうという、本末転倒の事態が生じています。

3 権利関係の複雑化と「専属解放」の壁
 360度ビジネスは、権利関係の複雑化という新たな問題も生み出しました。このモデルでは、実演家が持つ著作隣接権や肖像などを利用したパブリシティ権、さらには芸名やグループ名に関する権利(商標権など)まで、活動から生じるほぼ全ての権利が、契約によって包括的に事務所に譲渡・帰属させられるのが一般的です。アンケート調査では、知的財産権、パブリシティ権のいずれも約6割が事務所に譲渡・帰属させているとの結果が出ています。
 事務所側は、権利を一元管理することで円滑な業務遂行や価値の最大化を図っていると主張しますが、これは裏を返せば、アーティストが事務所を辞めたいと思っていても、簡単には離脱できない壁となります。契約を終了する「専属解放」の際には、これらの複雑に絡み合った権利をどう清算するのかという極めて困難な問題に直面するのです。
 公取委のヒアリングでは、退所後の活動を妨害する目的で、これらの権利が利用される悲痛な実態が数多く報告されています。例えば、以下のようなケースです。

●芸名・グループ名の使用制限
 事務所が権利を主張し、退所後の芸名使用を認めない。これにより、アーティストは改名を余儀なくされ、それまで築き上げてきた知名度やブランド価値を一から再構築しなければならなくなります。

●過去の成果物の利用拒否
 退所後、テレビ局などが過去の出演映像を使用しようとしても、権利を持つ元の事務所が「嫌がらせとして」許諾しない。これにより、メディアへの露出機会が奪われます。

 このように、パッケージ時代の古びた契約モデルが、デジタル化と360度ビジネスという新しい奔流の中で、アーティストの自由をより巧妙かつ強力に束縛する道具へと変質させてしまっています。
2025年9月16日

執筆者:弁護士 梅川 颯太